好きな女優さんの中で、「可愛らしい人」と聞かれて真っ先に浮かぶのが、黒木瞳さん。
年齢を重ねても、どこかコケティッシュで、宝塚の娘役だったころを思わせる可憐さがあって、私にも両頬のえくぼがあったらな…って思ったことも。
私が男性だったら、間違いなく一目惚れしていると思います。
そんな黒木さんの歩みを調べてみると、意外な事実がたくさん出てきました。
高校生のころ目指していた夢とは全然違う道に…。
そして60代の今は、女優だけでなく映画監督としても作品を撮り続けています。
黒木瞳さんの若い頃と現在、宝塚時代から『失楽園』、旦那さんと娘さんのことまで、まとめました。
黒木瞳さんの若い頃と年齢 音楽の先生を目指していた高校時代
まずは、黒木瞳さんのプロフィールです。
- 生年月日:1960年10月5日(2026年11月現在66歳)
- 出身:福岡県八女市(旧・八女郡黒木町)
- 身長:163cm
- 宝塚歌劇団:1981年入団(67期)、月組の娘役トップを務め、1985年に退団
- 家族:1991年に一般の男性と結婚、1998年に女の子を出産
- 主な出演:映画『化身』『失楽園』、ドラマ『ザ・ロイヤルファミリー』など
- 主な監督作:『嫌な女』『わかれうた』『十二単衣を着た悪魔』『線香花火』など
「黒木瞳」という芸名は、出身地の黒木町と、ロシアの古い歌『黒い瞳』から取ったもので、同郷の作家・五木寛之さんが名付けたそうです。
地元の八女高校では演劇部に入り、心の中では女優になる夢を持っていた黒木さん。
ただ現実には、音大で学んで音楽の先生になる道を考えていたのだとか。
そんな黒木さんの人生を変えたのは、高校1年生のときに友人に誘われて観た、宝塚の『ベルサイユのばら』の福岡公演でした。
この世のものとは思えぬ、夢の世界が広がっていました。(現代ビジネス)
踊りを習っていなかった黒木さんは、受からなかったら女優の夢をあきらめるつもりで、宝塚音楽学校を記念受験したそうです。
結果は、思いがけず合格。
音楽の先生になるはずだった女子高生が、ここから夢の舞台へ歩き始めます。
黒木瞳さんの宝塚時代 大地真央さんの相手役に選ばれて
宝塚音楽学校を卒業した黒木さんは、1981年に宝塚歌劇団へ入団し、月組に配属されました。
そして入団からわずか2年目で、月組のトップスター・大地真央さんの相手役に抜擢されます。
「史上最速」と言われるほどの異例の早さだったそう。
この時代の写真を見ると、黒木さんは本当に可憐で、ふわりと笑った顔は少女そのもの。
舞台の上ですっと伸びた立ち姿も、娘役ならではの美しさです。
立ち姿が人に与える印象については、▶ 姿勢の記事にもまとめています。
1985年、大地さんが退団を決めたとき、黒木さんは「私も辞めてもいいですか?」と申し出て、ふたりそろって宝塚を去ったそうです。
トップの相手役として、最後まで大地さんの隣に立ち続けたんですね。
ちなみに、同じ67期の同期生の中には、のちに黒木さんが「親友」と語る女性もいました。
その話は、この記事の後半でお伝えします。
『化身』から『失楽園』へ 30歳までと決めた映画の道
宝塚を退団した翌年の1986年、黒木さんは映画『化身』で主演デビューを果たします。
原作は渡辺淳一さんの小説で、黒木さんが渡辺作品に出たのは、これが初めてでした。
「宝塚しか知らない」と周りから言われたことで、本格的な女優として、新しい世界に飛び込む必要を感じたそうです。
物語は、文芸評論家の秋葉大三郎(藤竜也さん)が、バーで働いていた霧子を、自分好みの女性に仕立てていくというもの。
髪型や服装が変わるたびに、霧子は見違えるように洗練されていきます。
言ってみれば、大人の色気が混ざった『マイ・フェア・レディ』、あるいは映画『プリティ・ウーマン』のようなお話。
ただ、女性なら一度は憧れるハッピーエンドの『プリティ・ウーマン』に比べると、『化身』は男性の身勝手さが際立っていて、全体に暗いトーンです。
私はやっぱり、プリティ・ウーマンのほうが好きですね(笑)
それでも、宝塚の娘役から一転、大胆な役に挑んだこの作品は大ヒットし、黒木さんは日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞しました。
実はこのころ、黒木さんは「30歳までに映画で成功できなければ、福岡に帰ろう」と決めていたそう。
清楚なイメージとは裏腹に、心の中はかなりの覚悟だったことが分かります。
そして1997年には、同じ渡辺淳一さん原作の映画『失楽園』に主演。
役所広司さんと共演したこの作品で、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞し、「失楽園」という言葉が流行語大賞に選ばれるほどのブームになりました。
不倫を描いた作品なので、正直なところ私の好みではないのですが、デビューから10年ほどで、日本を代表する女優さんになったのは間違いありません。
大人の女性を演じる役でも、写真で見る黒木さんの笑顔には、娘役のころの可憐さが残っています。
『失楽園』の大ヒットの陰で、黒木さんの私生活にも大きな変化がありました。
黒木瞳さんの旦那さんは?結婚と娘さんのこと
黒木瞳さんの旦那さんは、芸能界の人ではなく、一般の男性です。
ふたりが結婚したのは1991年で、それから30年以上、夫婦として連れ添っています。
そして『失楽園』が公開された翌年の1998年、黒木さんは女の子を出産しました。
娘さんは芸能人ではない一般の方なので、この記事では名前や学校のことには触れません。
家族のことは、本人と家族のもの。
周りがのぞき込むことではないと、私は思っています。
出産のあとも黒木さんは女優の仕事を続け、50代に入ってからは、新しい挑戦も始めました。
黒木瞳さんの現在 41年たって撮った親友の映画
2016年、黒木さんは映画『嫌な女』で、映画監督としてデビューしました。
その後も『わかれうた』『十二単衣を着た悪魔』『線香花火』と、女優を続けながら監督作を撮り続けています。
2025年には、日曜劇場『ザ・ロイヤルファミリー』に山王京子役で出演しました。
そして2026年9月、黒木さんが共同監督を務めた短編ドキュメンタリー『指飛行機の行方』が、なら国際映画祭で初めて上映されました。
描いたのは、宝塚の同期生で親友だった北原遥子さんのこと。
北原さんは1985年8月12日、日本航空123便の墜落事故で亡くなっています。
黒木さんが宝塚を退団したのと同じ、1985年のことでした。
彼女の最期の場所を見ておかなければいけないと思うまでに、私には40年かかりました(映画.com)
40年たってから、ようやく向き合えた悲しみ。
可憐な笑顔の奥に、そんな思いを抱えて歩いてきたのだと思うと、胸が締めつけられます。
さらにこの11月には、渡辺淳一さんの小説『シャトウ ルージュ』を映画にした『月がみている』に、主人公・月子の母の役で出演。
デビュー作の『化身』から40年、また渡辺淳一さんの作品に戻ってきたのも、なんだか素敵なめぐり合わせです。
まとめ|黒木瞳さんの若い頃から変わらない、コケティッシュな可憐さ
黒木瞳さんの若い頃から、宝塚時代、映画の道、結婚、そして現在までを振り返ってきました。
- 高校時代は音楽の先生を目指し、記念受験のつもりで宝塚音楽学校に合格
- 入団2年目で、月組のトップスター・大地真央さんの相手役に
- 1986年の『化身』で映画デビュー、1997年の『失楽園』で大ブームに
- 1991年に一般の男性と結婚し、1998年に女の子を出産
- 2016年から映画監督としても活動し、2026年には宝塚の同期で親友だった北原遥子さんを描いた作品を発表
宝塚の娘役だったころの写真も、60代の今の写真も、黒木さんの笑顔にはいつも少女のような可愛らしさがあります。
可愛らしさは、若さだけのものではありません。
覚悟を決めて新しい世界に飛び込み、悲しみにも向き合ってきた人だからこそ、あのコケティッシュな可憐さが、年齢を重ねるほど深くなっていくのでしょうね。
私も、黒木さんのように、いくつになっても可愛げのある大人でいたいなと思います。
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年齢を重ねても可愛らしい女優さんとして、▶ 内田有紀さんの記事や、同じく若い頃と現在をまとめた▶ 山口智子さんの記事もご覧ください。
