「もうおばさんだから」「ババアには無理〜」
友だちとのおしゃべりや職場の雑談で、自分のことをそう呼んだことはありませんか?
言ったあとに、みんなが笑ってくれてほっとする。
でも帰り道に、なんとなく心に小さなトゲが残っている。
そんな経験がある人も、いると思います。
この記事では、自分のことを「おばさん」や「ババア」と言う心理と、その言葉が誰に届いているのかを、責めるのではなく一緒に考えてみました。
自分のことをおばさんという心理、なぜ言ってしまう?
まず、自分のことを「おばさん」と言ってしまうのは、責められるようなことではありません。
そこには、ちゃんと理由があるからです。
たとえば、年下ばかりの集まりで、浮かないように先に自分から言っておく。
スマホの新しい機能が分からないとき、「おばさんだから分からなくて〜」と笑いに変えて、その場をなごませる。
写真を撮るときに、「おばさんは端っこでいいから」と一歩引く。
人から言われる前に自分で言っておけば、傷つかずに済むという気持ちもありますよね。
どれも、周りの空気を読んで、場を気づかえる人ほど、つい口にしてしまう言葉なのだと感じます。
「おばさん」は、気づかいの言葉として使われていることが多いんですね。
ただ、気づかいのつもりの言葉が、思わぬところまで届いていることもあります。
そもそも、この言葉は謙遜なのでしょうか、それとも自虐なのでしょうか?
謙遜と自虐の違いは?
謙遜は、辞書では「へりくだること。控え目な態度をとること。」と説明されています。(コトバンク)
相手を立てるために、自分を一歩下げて見せるのが謙遜ですね。
一方の自虐は、自分で自分を下げて、笑いにしたり、予防線を張ったりすること。
謙遜は相手のため、自虐は自分を守るため、と言い換えられそうです。
でも「おばさんだから」は、そのどちらにも聞こえる、少し不思議な言葉。
相手を立てているようでいて、自分を守っているようにも見える。
だから言いやすいし、言われたほうも笑って受け流しやすいんですよね。
謙遜も自虐も、使い方によっては場をなごませる大切な言葉なので、どちらもやめたほうがいいと言いたいわけではありません。
ただ、謙遜は、もともと相手との関係の中で成り立つ言葉なのだと思います。
たとえば、手料理をほめられて「たいしたものじゃないですよ」と返すとき、下げているのは料理の出来だけです。
ほめてくれた相手の味覚や、同じ料理を作るほかの誰かまでは下げていません。
ところが「おばさんだから」は、自分の中身ではなく、年齢という誰もが持っているものを下げてしまう言葉。
下げる対象が、自分ひとりでは収まりきらないんです。
自虐のほうも同じで、笑いに変えているつもりが、聞いている側は、どこで笑えばいいのか迷ってしまうことがあります。
同年代の友だちなら「私もだよ〜」と乗ってくれても、年上の方がいる場では、笑っていいのか分からず、少し気まずい空気になることもありますよね。
言葉は、言った人のつもりより、聞いた人の受け取り方で意味が決まるところがあるのだと思います。
でも、どちらのつもりで言ったとしても、その言葉が届く先は、自分だけではないんです。
「若いね」という言葉に引っかかった話も、年齢の言葉が誰に届くかという点で、根っこは同じだと感じています。(「若いね」は褒め言葉?の記事はこちら)
では、「おばさん」という言葉は、ほかの誰に届いているのでしょう?
おばさんは何歳から?自分で引いた線の向こう側
「おばさんって何歳から?」という話題は、よく耳にします。
30歳からという人もいれば、40歳からという人もいて、答えは人によってばらばら。
おばさんに、決まった年齢はありません。
だから、自分を「おばさん」と呼んだ瞬間に、線を引いているのは自分自身なんです。
そして、その線は自分だけでは止まりません。
「私はもうおばさん」と言うことは、自分の年齢以上の人すべてを、まとめておばさんと呼んでいるのと変わらないからです。
たとえば、体型を気にしている人が、「私なんてデブだから」と言ったとします。
その場に、自分より体の大きい人がいたらどうでしょう?
言った本人は自分のことだけを話しているつもりでも、聞いている人は、自分のことまで言われたように感じてしまうこともありますよね。
年齢の言葉も、それと同じ形をしています。
自分のことをババアというときにも、同じことが起きているんです。
自分のことをババアというと、誰に届く?
目の前に、自分より年上の方がいたらどうでしょう?
職場の先輩、習い事の仲間、お母さんや義理のお母さん。
「私なんてもうババアだから」と笑ったとき、その方は、どんな気持ちで聞いているでしょうか?
「じゃあ、私は何なの?」と思いながら、一緒に笑ってくれている、ということもあると思うんです。
心の中で思うぶんには良いと、私は思っています。
歳を重ねて、体力や見た目の変化を感じるのは自然なこと。
でも口に出すのは、自分より年上の方にとっても、失礼なことになってしまう。
悪気がないぶん、気づきにくい言葉なんですよね。
たとえば、自分より一回りも二回りも年上の方が集まる場で、「私なんてもうババアで」と言ったとします。
言った本人は、へりくだったつもりでいます。
でも年上の方にとっては、自分たちが歩いてきた年齢を、まるごと下に見られたように聞こえることもあるんです。
だから私は、口に出すのは失礼なことだと感じています。
反対に、年上の方が明るく年齢を重ねている姿を見ると、自分の先の年齢まで、少し楽しみに思えてきませんか?
年齢の言葉は、自分を映すだけでなく、前を歩く人の年齢も、後ろから来る人の年齢も映しています。
自分より若い人の前で「ババアだから」と言えば、その人に「歳をとるとこうなる」と見せていることにもなる。
どうせ見せるなら、歳を重ねるのも悪くないと思える姿を見せたいと、私は思うんです。
そして、その言葉をいちばん近くで聞いているのは、家族だったりします。
子どもの前で自分をおばさんという人へ
子育て中のママが、子どもの前で自分を「おばさん」「ババア」と呼んだとします。
それは子どもに、「ママと同じ年代以上の女性は、おばさん・ババアと呼んでいい」と伝えているのと同じこと。
子どもは、大人が話す言葉を、意味よりも先に、そのまま覚えていきます。
ママが笑いながら言っていた言葉を、今度は子どもが、近所の方や学校の先生に向けて使ってしまうこともありえます。
言った本人に悪気がないように、子どもにも悪気はありません。
だからこそ、言葉の出どころである大人が、少しだけ気をつけたいところです。
では、「おばさんだから」の代わりに、何と言えばいいのでしょう?
たとえば、スマホの機能が分からないときは「これ、教えてくれる?」。
体力の変化を感じたときは「最近、疲れやすくなったんだよね」。
年齢のせいにしなくても、そのまま伝えれば、ちゃんと通じます。
つまり、自分を下げなくても、笑いも気づかいも作れるってこと。
年齢をどう受け取るかについては、美容整形とルッキズムの記事でも書いています。(美容整形とルッキズムの記事はこちら)
「おばさん」の自虐への返し方は?
ここまでは言う側の話でしたが、反対に、誰かに「私なんてもうおばさんだから」と言われて、どう返せばいいのか迷ったことはありませんか?
「そんなことないよ」と打ち消すと、相手の年齢そのものを否定しているようにも聞こえる。
「私もだよ〜」と乗ると、今度は自分も一緒に下げてしまう。
どちらも相手を気づかった返し方なのに、なんだかしっくりこないんですよね。
そんなときは、年齢の話には乗らずに、その人自身に目を向けた言葉を返してみるのはどうでしょう?
「その服、すごく似合ってるね」
「そういう気配りができるところ、いいなと思う」
年齢の話を広げずに、今のその人のいいところを1つ伝える。
それだけで、会話の向きが、下げるほうから認めるほうへ変わっていきます。
自虐を笑いで終わらせるのではなく、そっと別の場所に着地させてあげる感じです。
自分が言われたらうれしい返しを、相手にも渡せたらいいですよね。
まとめ|自分のことをおばさんという心理と、謙遜と自虐の違い
自分のことをおばさんと言ってしまうのは、周りに気をつかっているからこそ。
その気持ち自体は、とてもやさしいものだと思います。
ただ、謙遜のつもりでも自虐のつもりでも、その言葉は、自分の年齢以上の人すべてに届いています。
心の中で思うぶんには良くても、口に出すのは、年上の方にとっても失礼なことになる。
子どもがいる人なら、なおさらです。
歳を下げる言葉より、重ねてきた時間を認める言葉を。
次に「おばさんだから」と言いそうになったら、少しだけ言葉を選んでみませんか?
「おばさん」の代わりに、今の自分を好きになれる言葉が見つかりますように。

