カンパネラおじさん徳永義昭さんの奥さんはどんな人? 絶対無理と言った妻は音大出身

カンパネラおじさん徳永義昭の奥さんはどんな人? 絶対無理と言った妻は音大出身 生き方
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前の記事で、カンパネラおじさんこと徳永義昭さんのことを書きました。

52歳からピアノを独学で始めて、7年かけて超難曲を弾けるようになった佐賀の海苔漁師さん。そして今や、全国行脚するピアニストでもあります。

ただ、あの記事には書ききれなかった人がいるんです。

奥様の千恵子さん。

調べていくうちに、この物語は夫婦の話だと思うようになりました。

 

カンパネラおじさん徳永義昭の奥さん・千恵子さんはどんな人?

千恵子さんは音大を卒業されていて、自宅の2階でピアノ教室を開いています。義昭さんとはほぼ同い年で、2人は高校時代からの知り合いでした。

教わる側ではなく、長く教える側にいた人ですね。

家にピアノがあったのも、「ラ・カンパネラ」の楽譜があったのも、この方がいたからでした。

つまり義昭さんは、いちばん身近な場所に専門家がいる状態で、ピアノを始めたことになります。

恵まれている、と言いたくなりますよね。

では、ピアノ講師でもある千恵子さんはどこの音大を出た人なのか。調べ始めて、すぐに手が止まりました。

 

奥さんはどこの音大? 分かったこと・分からなかったこと

検索していると、千恵子さんがどこの音大を出たのかを知りたい人が多いことに気づきます。

結論から書きます。公表されていません

新聞記事も、テレビ番組の紹介文も、ご本人のピアノ教室の情報も、ひととおり当たってみました。音大を卒業しているという事実までは出てきますが、学校名までたどり着ける情報は見つかりませんでした。

出てこないものを、それらしく書くことはできません。ここは分からないままにしておきますね。

ただ、千恵子さんを調べていると、学校名よりも何度もぶつかる言葉がありました。

夫がピアノを始めたとき、この人が最初に返したひと言です。

妻が最初に返したひと言

義昭さんが「カンパネラを弾く」と言い出したとき、千恵子さんの返事は、絶対無理でした。

しかも一度ではなく、言い続けていたそう。これは、ピアノを長年やってきて、あの曲の難しさを知っているからこその言葉だったと思います。

義昭さんはそれを、「そいで「何ち言いよっか」ち、その反骨精神で頑張れた」と振り返っています。

否定の言葉が、燃料になった形です。

…とはいえ、私はここを美談として読めませんでした。

私は言霊があると思っていて、昔から自分にも子どもにも「無理」という言葉をかけないようにしています。

その言葉を浴びると、やる前に「自分にはできない」というイメージのほうが先に育ってしまうから。

挑戦の芽は、たいてい行動ではなく想像の段階で摘まれます。

私が「無理」と言うときは、意味がまったく違うんです。

自分が絶対イヤということをお願いされたときは、全力で「無理」と返します。

若い頃、マッチングアプリで出会った男性に、はじめましてのカフェデートで、「体の相性を確かめたい」と言われたことがありました。

「無理です」とはっきり伝えて、デートの途中でしたが、席を立って帰りました。

同じ「無理」という言葉でも、向いている先が違うの、伝わりますか?

 

相手の可能性に向けた「無理」は、その人の中にイメージを植えつけてしまうもの。

つまり、言われた側の未来を縮めてしまうし、相手の可能性を信じていないことにもなる。

でも、自分の境界に向けた「無理」は、自分を守るためのもの。

 

だから徳永さんは、本当にすごいと私は思ったんです。だって、跳ね返せたのだから。

みんながみんな、跳ね返せる人ばかりではないので、私は言わないようにしています。

 

それと、千恵子さんの名誉のために書いておくと、口では絶対無理と言いながら、ピアノはちゃんと貸しているんです。

言葉と行動が違う理由が、ふたりの40年前にありました。

 

40年前、高校の音楽室で弾いた男子生徒

ふたりは高校時代からの知り合いでした。

ある日、義昭さんは学校の音楽室のピアノの前に座り、千恵子さんの前で、ショパンの「英雄ポロネーズ」の一部を弾きました。

当時のテレビドラマ「赤い激流」で流れていた曲です。

楽譜も読めない高校生が、どうやって弾いたのかというと、2週間ほど、ひとりでこっそり練習していたそう。

そして、52歳のときにまた同じことをしていますよね。

楽譜が読めないまま、聴いた音を手で覚えて、誰にも言わずに練習する。

40年後に7年かけてやったことの、前のストーリーがここにありました。

では、なぜ高校生の義昭さんは、そんなことをしたと思いますか?

 

進路に迷っていた彼女に、彼がしたこと

当時、千恵子さんは進路に悩んでいました。

それを知った義昭さんが、サプライズとして用意したのがあの演奏だったんです。

弾き終えたあと、義昭さんはこう言いました。

「頑張ったらおいでん弾ける。お前も頑張れば弾ける。」

千恵子さんは、涙が止まらなかったそうです。そして受験に挑戦する勇気をもらったと語っています。

音楽の専門教育を受けていない男子生徒が、2週間で仕上げた演奏。上手だったかどうかは分かりません。たぶん、そこは問題ではなかったのだと思います。

言葉ではなく、自分の行動で示したから届いた。

頑張れと言われるより、頑張った姿を見せられるほうが、人は動くのかもしれませんね。

そうして千恵子さんは音大へ進み、ピアノの先生になりました。

 

自宅2階のピアノ教室が、夫の練習場所

52歳の義昭さんが「ラ・カンパネラ」を弾くと言い出したとき、その舞台になったのが、千恵子さんが子どもたちに教えている2階の教室でした。

妻が仕事をしている場所を借りて、夫が練習する。

1日7時間!本業の繁忙期には、寝る時間を削って。

楽譜が読めないので、YouTubeの動画を見ながら1日ワンフレーズずつ覚えていったそうです。

そして約3か月で、楽譜どおりに指が動くようになりました。

 

でも、、不思議に思いませんか。すぐそばにピアノの先生がいるのに、なぜ独学なのか。

千恵子さんは、夫の演奏にほとんど口を出しませんでした。

聞かれたときに答える程度で、手取り足取り教えることはしなかったそうです。

その理由をご本人が語った記録は見つかりませんでした。

なので、ここからは私の捉え方になりますが、教えるというのは、その人のやり方を自分のやり方に寄せていくことでもあります。

義昭さんのやり方は、光る鍵盤を見て指に覚えさせるというもので、先生から見れば遠回りそのものです。

そこへピアノを学ぶ正しい順番を持ち込んでいたら、逆に続かなかったかもしれません。

NHKは千恵子さんを、「そっと付き添う人」と紹介していました。教える人ではなく、付き添う人というのが、優しさだと思いました。

 

義昭さんは、「しんどかねぇ」と落ち込むこともあったと話しています。

そんなとき、必ずYouTubeにコメントが届くと、「がばいうれしかっさね、そいけん頑張れる」と。

40年前、進路に迷う彼女の背中を押した人が、今度は押される側に回っていました。

支える側と支えられる側は、ずっと同じ位置ではないんですね。

では、その練習を毎日すぐそばで聞いていた千恵子さんは、何を思っていたのでしょう。

 

ドキュメンタリー「漁師と妻とピアノ」に映っていた妻の表情

2024年2月10日、NHKのEテレで、この夫婦を追ったETV特集『漁師と妻とピアノ』が放送されました。

番組の紹介文に、印象的な一行があります。千恵子さんは、複雑な思いで夫を見つめていた、と。

よかったね、応援しているよ、ではありません。複雑な思いとは…。

この一語に、私はかえって信頼を感じました。

長年ピアノを鍛錬し、音大を出てピアノ講師を生業にしてきた人が、自分の領域に、素人の夫が本気で入ってくる。しかも寝る間を削ってまで。

誇らしさと、心配と、もしかしたら言葉にしにくい感情も混ざっていたと思います。

それを全部きれいな応援に変換しないまま、それでもピアノを貸し続けた。

夫婦って、こういうことなんだと思います。感情が整理できていなくても、支えることはできる。

番組は、ふたりが全国のコンクール会場を回る様子を追っていて、夫婦の旅の物語として構成されていました。

現在、劇場版のドキュメンタリー『漁師と妻とピアノと』の製作が進んでいて、2026年の秋に完成試写会が予定されています。

タイトルに、ちゃんと「妻」が入っていて、作り手も、この話の中心がふたりだと見ているということですね。

義昭さん本人は、妻をどのように位置づけているのかを、はっきり言葉にしたことがあります。

 

「妻の次にピアノが大事」 順番の話

2021年5月、義昭さんは母校で演奏会を開きました。結婚30周年の記念として、千恵子さんのための演奏です。

そのあとに口にしたのが、この言葉でした。

「妻の次にピアノが大事」

前の記事で、フジコ・ヘミングさんのコンサートの前座を断ったときの言葉を紹介しました。「海苔が一番、ピアノが二番、フジコさんが三番」と。

夢が叶っても、いちばん大事にしている人は変わらなかったということです。

義昭さんは、「自分だけでは夢を叶えられなかった、家族や仲間と夢を共有して」と、生徒さんたちに話しました。

ひとりで7年間も毎日ピアノに向かった人の結論が、「ひとりではなかった」というところ。ここがいちばん好きです。

絶対無理と言い続けた妻が、ピアノを貸して、見守った。
40年前に背中を押した夫が、40年後に押される側になった。

お互いが支えあっていて、本当にいいご夫婦だと思います。

▼こちらで千恵子さんのお話も聞けます

 

年齢を重ねてから始めることに、遅すぎるということはありません。

そして始めるとき、そばにいる人の言葉は、思っているよりずっと深く届きます。

もし周りに、無謀とも思える挑戦をする人がいたとき、あなたならどんな言葉をかけますか?

 

▼ カンパネラおじさん本人の話は、こちらから

カンパネラおじさんのピアノ練習法YouTube動画はどれ?【海苔漁師・徳永義昭さん】

佐賀・有明産はひと味違う

▼ もう1組、覚悟のある夫婦の話

イケメン精神科医の妻 ボートレーサー西岡育未さんの生き方に見る「覚悟」

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