美容整形とルッキズム 賛成?反対?歳をとるのが怖いと感じたら

美容整形とルッキズム 賛成?反対?歳をとるのが怖いと感じたら マインド
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SNSを開けば、美容整形の広告やビフォーアフターの写真が、次々に流れてくる。

「私もやったほうがいいのかな」と思う日もあれば、「そこまでしなくても」と思う日も。

その間を行ったり来たりしながら、そっとスマホを閉じたことはありませんか?

そんなふうに気持ちが揺れるのは、歳をとるのが怖いという気持ちが、どこかにあるからだと思うんです。

この記事では、美容整形とルッキズムについて、賛成でも反対でもない私の考えをまとめました。

整形をした人も、したいと思っている人も、していない人も、同じ場所から読んでもらえたらうれしいです。

 

歳をとるのが怖いのはなぜ?

「歳をとるのが怖い」「歳をとりたくない」という言葉を、年代関係なく耳にすることがあります。

20代で、まだ若いと言われる年齢の人まで、怖いと感じているんですね。

何が怖いのかを考えてみると、シワが増えること、たるみが出ること、昔の写真と今の自分を比べてしまうこと。

誕生日のたびに、うれしい気持ちより先に、ため息が出てしまう人もいると思います。

集合写真を撮るときに、つい後ろの列に下がってしまう。

顔が写らないように、手や物で隠してしまう。

 

思い出を残す撮影の場面にも、歳への怖さが顔を出します。

怖さの中身は人それぞれでも、その多くは「見た目が変わること」への怖さなのかなと、私は感じています。

でも、見た目が変わること自体は、本来、怖いことでしょうか?

子どもの背が伸びることや、髪型を変えることを、怖がる人はいません。

変わることが怖いのではなく、変わった先で、自分の価値が下がるように感じるから怖い。

その「価値が下がる」と感じさせているのが、見た目で人の価値を測る空気。ルッキズムといわれるものです。

 

ルッキズムとは?何が悪いと言われている?

ルッキズムとは、Looks(見た目)とism(主義)を合わせた言葉で、「外見がその人間の価値を測るのに一番重要だという思想」と説明されています。(IDEAS FOR GOOD)

言い換えると、見た目がその人のすべてを決めてしまう、という考え方ですね。

でも、見た目を磨くこと自体は、悪いわけではありません。

お気に入りの服を着て出かける日や、髪がうまくまとまった朝は、それだけで気分が上がるし、心なしか自信もつきます。

何が悪いと言われているのかというと、見た目だけで人の価値が決まってしまうところ。

顔立ちや体型で、仕事ができそうかどうか、性格が良さそうかどうかまで決めつけられてしまう。

そこに年齢が加わると、「若いほうが価値がある」という物差しになります。

シワやたるみが、そのまま減点されていく感じ。

一度その物差しを持つと、テレビやSNSで見る人の顔にも、鏡に映る自分の顔にも、同じ物差しを当ててしまうようになります。

「歳をとるのが怖い」という気持ちは、「怖い」と「正義」がイコールでつながらないためです。

この物差しの上に立っているからこそ、生まれてくるのでしょう。

「若いね」と言われて、うれしいのに少し引っかかった話は、こちらにまとめています。(「若いね」は褒め言葉?の記事はこちら)

では、この物差しは、いつからこんなに強くなったのでしょう?

 

『人は見た目が9割』の本、内容は顔の話?

2005年に新潮新書から出た、竹内一郎さんの『人は見た目が9割』という本があります。

タイトルを聞いたことがある人も、多いと思います。

 

私は、この本が世に出て広まるにつれ、ルッキズムが強くなったような気がしています。

あくまでも私の感覚であって、本がルッキズムを広めたと言いたいわけではありません。

というのも、この本のテーマは、顔立ちの良し悪しではないからです。

新潮社の紹介では「日本人のための『非言語コミュニケーション』入門」とされていて、目次には「仕草の法則」「良い間、悪い間、抜けてる間」「行儀作法もメッセージ」「顔色をうかがおう」といった話が並んでいます。(新潮社)

表情やしぐさ、話すときの間のように、言葉以外で伝わるものの話なんですね。

つまり、ノンバーバル・コミュニケーションが大事ってこと。

同じ「ありがとう」でも、笑顔で言うのか、うつむいて言うのかで、受け取る印象はまったく違いますよね。

「見た目が9割」の見た目は、そうした伝わり方のことなのだと、私は受け取っています。

ところが、「人は見た目が9割」という言葉だけが広まっていくうちに、「顔の造作が9割」のように受け取られていったように感じます。

本の中身とは別のところで、タイトルの言葉が一人歩きしてしまった。

そう考えると、責めるべき誰かがいるわけではないんです。

言葉の受け取り方が、少しずつずれていっただけ。

そして、このずれは、美容整形の受け取られ方にも重なっているように思います。

▼ 読みやすいマンガ版もあり

 

美容整形、賛成か反対か聞かれたら?

「美容整形、どう思う?」と聞かれたら、私は、賛成でも反対でもないと答えます。

必要としている人も、きっといると思うからです。

長いあいだ抱えてきたコンプレックスがある人もいれば、人前に立つ仕事をしている人もいる。

どんな理由で選ぶのかは、その人にしか分からないこと。

外から「賛成」「反対」と決めること自体が、見た目で人を測ることに近いような気がするんです。

整形をした人を「作り物」と言うのも、しない人を「努力が足りない」と言うのも、見た目で相手の価値を決めている点では同じこと。

だから私は、どちらの側にも立ちません。

賛成か反対かを決めるより、その人が自分の選択に納得しているかどうかのほうが、ずっと大事だと思うんです。

ただ、その選択の奥に「歳をとるのが怖い」という気持ちがあるなら、少し一緒に考えてみたいことがあります。

 

年齢を気にする女性心理、怖さの正体は?

人には、平等に時間が与えられています。

お金や才能には差があっても、1年が365日なのは、誰にとっても同じ。

誰もが、誕生日を迎えるたびに歳を重ねていきます。

今30歳の人も、20回誕生日を迎えたら50歳。

今20歳の人も、30回誕生日を迎えたら50歳です。

そう考えると、みんなが歳をとるんですよね。

歳をとることは、一部の人にだけ起きる特別なことではありません。

みんなで同じ川を下っているようなもので、流れを止められる人はいなくても、景色の楽しみ方は人それぞれ選べます。

年齢ごとに、その年齢でしか見えない景色もあるはずです。

それでも必要以上に恐れてしまうのは、年齢そのものより、年齢の捉え方の問題なのかなと思っています。

「若いほうが価値がある」という物差しで見れば、誕生日は減点の日。

この世に生を受けたことを喜べない雰囲気に。

しかし、「生きてきた時間が増える」と見れば、誕生日は積み重ねの日になります。

同じ1日なのに、受け取り方で意味がまったく変わるんです。

では、その受け取り方は、どうすれば変えていけるのでしょう?

 

ルッキズムをやめたいと思ったら、できること

自分の中のルッキズムをやめたいと思ったら、まず、鏡の前で自分にかける言葉から変えてみませんか?

「また歳をとった」ではなく、「今年も誕生日を迎えられた」と受け取ってみる。

「シワが増えた」ではなく、「よく笑ってきた顔になった」と言ってみる。

言葉を変えても、顔がすぐに変わるわけではありません。

でも、鏡の前で過ごす時間の気分は、その日から変わります。

最初は照れくさくても、毎日かける言葉は、少しずつ自分の物差しになっていくもの。

人と比べてしまうときも、見た目の違いより、その人が重ねてきた時間のほうに目を向けてみる。

誰かに声をかけるときも、「若いね」より「その服、似合うね」「笑顔がいいね」と言ってみる。

自分を見た目で測るのをやめると、人を見た目で測ることも、少しずつ減っていくはずです。

表情やしぐさ、間の取り方のように、言葉以外で伝わるものは、歳を重ねるほど深くなっていくものだと私は思っています。

アンチエイジングに疲れを感じている人は、こちらの記事も読んでみてください。(アンチエイジングに疲れたら読む記事はこちら)

美容整形を選ぶかどうかも、怖さから決めるのではなく、自分で納得して決められるといいですね。


 

まとめ|美容整形とルッキズム、歳をとるのが怖いと感じたら

美容整形には、賛成でも反対でもありません。

必要としている人もいるし、選ぶ理由はその人にしか分からないからです。

大事なのは、賛成か反対かより、自分が納得して選べているかどうか。

ルッキズムが強くなったように感じるのは、「見た目」という言葉が、顔立ちや若さだけを指すように受け取られてきたからだと思います。

でも本当は、表情やしぐさのように、時間をかけて育っていく見た目もあります。

人には平等に時間が与えられていて、今30歳の人も、20回誕生日を迎えたら50歳。

何歳生きたかより、どう生きてきたか。

みんなが歳をとるのなら、必要以上に恐れるより、どんなふうに時間を重ねていくかに目を向けてみませんか?

次の誕生日を、楽しみにして迎えられますように。

 

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